PROFILE
プロフィール
自分のなかの差別意識に気づく
父から自立が大切だと言われ、高校時代から銀行などでトイレ清掃などのアルバイトをやりました。そこでは障がい者がたくさん働いていたこともあり、アルバイト先の社員から嫌がらせを受けたこともありました。でも、どんなにいじめられても自分は障がい者ではないし、家に帰れば「普通の人」という思いで耐える自分の中に、障がい者に対する差別意識があることに気づきました。
障がい者を強く意識するようになった理由は
高校まで、子ども会のジュニアリーダーなどをしていました。私が接していた多くの子どもの中には障がい児はいませんでしたが、本を読んで障害者について強く意識するようになりました。区役所の窓口に行き、障がい者施設を紹介してほしいと相談したところ、「興味本位ではだめよ」と叱られたものの、病院のドクターを紹介してもらい、ボランティア活動に取り組みました。
「一緒に生きる」ことを学ぶ
都立保育専門学校卒業後に障がい児施設に就職しました。自分の中に「障がい者はかわいそうな人、自分とは違う」と思う差別意識を克服したいと、大人の障がい者施設に転職し、「一緒に生きる」ことを学びました。
その後、障がい者施設で知りあった一人暮らしの障がい者Aさんから「あぜちゃんにグループホームをつくってほしい」と訴えられ、「修業してくるから5年間まって」と約束し、江東区の無認可保育所に転職しました。
差別意識を乗り越えたいー共産党員に
私は障がい者ボランティア活動を続けてましたが、自問自答の毎日でした。25歳の時に「空想から科学へ」の社会科学の本に出会い、すべての人が人間らしく生きられる社会という自分がめざす社会の姿をみつけました。自分自身が社会変革の道を進めていくとともに、自分の中にあった「差別意識」も乗り越えないといけないと思い入党しました。
「みんなの施設増やしてよ」
ー激励され議員に
江東区の無認可保育所で働いて4年目の29歳のときに、区議会議員への立候補要請がありました。私は、「グループホームをつくる」約束があるのでと断わりましたが、共産党の区議になることが、障がい者のみんなが喜ぶグループホームをたくさんつくる力になると訴えられ、区議になることを決意しました。約束を守れないとAさんに謝ったら、「素晴らしいと思うよ。みんなの施設を増やしてよ」と逆に激励されました。
中野特別支援学校
東京中野区生まれ。地域の子ども会やジュニアリーダーの活動し、高校時代からは障害者運動などボランティア活動とクラブ活動、バイトの日々。
都立保育専門学院を卒業し、障害者施設や共同保育室で保育士として働く。1985年日本共産党に入党。1987年から江東区議6期22年、2009年から都議4期。
1990年、江東区議会史上初の議員出産。
区議会では、「子ども医療費助成制度」条例などを提案。認可保育園の増設、東部療育センターの実現など区民とともに議会内外の運動で実現に力を尽くした。
医療・介護保険制度特別委員会委員長。文教委員など歴任。
2017年 都議会議員3期目
都議団・政策調査副委員長、経済・港湾委員会委員、オリンピック・パラリンピック及びラグビーワールドカップ、推進対策特別委員会理事など
2020年 党都議団副幹事長
2021年 都議会議員4期目
家族:現在は夫と息子 趣味は旅行、キャンプ…都議になってからなかなかいけません。
映画鑑賞と料理で気分転換。
相対評価で成績が上がり喜ぶ私に母が一言…あなたが上がったということは誰かが下がって悲しい思いをしている、そういう人のことに思いを寄せられる人になってほしいと。この言葉は私の座右の銘にしています。
尊敬する母から言われた大切にしている言葉
私の信条
「福祉が原点」「弱い立場の人に政治の光を」―これが私の信条です。困っている人に寄り添い、一緒になって政治を変える議員になれれば最高です。
1955年 東京都中野区生まれ
1987年 江東区議会議員に初当選。(6期当選)
2009年 東京都議会議員に初当選
2013年 都議会議員2期目
2017年 都議会議員3期目
都議団・政策調査副委員長
経済・港湾委員会委員
オリンピック・パラリンピック及び
ラグビーワールドカップ
推進対策特別委員会理事
2020年 党都議団副幹事長
2021年 都議会議員4期目